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上の絵図は昭和六年に発行された湊線(現・ひたちなか海浜鉄道)のパンフレットの一部です。 注目して欲しいのは「とのやま駅」の描かれている位置です。 現在の水産加工団地入口の踏み切りあたりに位置しているとは思いませんか? とのやま駅から延びる道路は殿山の坂の下で合流しています。 この地域の地理に詳しい方はミスプリントだと思われるかもしれませんが、 この絵地図に間違いはありません。 |
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上の画像は昭和49年に撮影された水産加工団地付近の航空写真を加工した物です。 水色に塗った地域は低地で撮影当時はまだ田んぼが広がっていました。 踏み切り脇の現在コンピニの建っている地域は丘のようになっていて草薮や畑になっていました。 ここの一角、赤い線で囲んだあたりに初代「とのやま駅」がありました。 湊線が平磯まで延伸したときに、平磯駅と同時に設置されたときには「平磯口駅」でした。 平磯口と呼ばれていた殿山の高台に立つ旅館の逗留客の利用を見越していたようです。 やがて、殿山地域が開発されてきた為に駅名は「とのやま駅」と改名され 更には、平磯駅との距離が近すぎるということで、現在の殿山駅の場所へ移転されました。 私が子供の頃、ここには駅の遺構がまだ残っておりました。 藪の中にコンクリートで出来た施設の基礎部分やホームの一部が埋もれていましたが 当時は全くその素性を知る事は無く子供たちの間では何故か「小人の便所場」と呼ばれ遊び場になっていました。 |
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湊線の平磯口駅を降りた逗留客は海岸線までおり沢メキ稲荷(ザァーメキ様)の脇を右折すると 境橋を渡り、当時は「開運楼の坂」と呼ばれていた殿山の坂を登って行ったのです。 眼前に立ち並ぶ平磯口の旅館群を目差して・・・・・ |
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開運楼、海側物見台より平磯の眺望 |
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開運楼第一別館と上の絵葉書に印刷されていますが、場所は特定できていません。 殿山のニューグリーン・マンション向かいに改装、増築されていますが良く似た建物が現存しています。 開運楼と何か係わりがあるのか確かめてみたいと思っていましたが、 いつの間にか空き家になっていました。 増築、改修もされているようなので大分うえの写真とは違ってしまっていますが、 私は開運楼別館の遺構だと思っています。 |
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上の絵葉書は平野屋別荘の内部です。 |
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湊館にはお教えする情報を何ら持ち合わせておりません。 私の子供の頃、ここに何か建物があったような記憶がありますが、気づいたときには取り壊されて 東芝関連企業の施設が建てられていました。 その施設もやがて使われなくなり近年では更地になっているようです。 |
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